人間関係、恋愛、進学、就職、昇進、お金、結婚、家族、子育て、健康、老後。
人生のステージごとに悩みの種類は変わっていきますが、人の一生を通しての ”悩み” というものは、おおよそ上に書かれたいずれかに関連するものではないでしょうか。
ご多分に漏れず、私もいくつかの悩みを抱えながら生きています。
日頃はあまり意識することはないですが、体調や精神状態により、その悩みにとらわれてしまい長いこと陰鬱な気分になることも。
中には「悩みなんか無い」という人も稀にいますが、ほとんどの人が何かしらの悩みを抱えて生きていると思います。
そもそも "悩み" の正体って何なんでしょうか?
- 悩んだりするのは人間だけ
- 評価軸を自分の外に置くから悩みなんてものが生まれる
- 評価するのは常に自分。主導権を渡さない
- 現在の生活の中で喜びを見つける
- 家庭はぶっ壊さない方がいいけど、そうしないと生きられないなら仕方ない
- それでも "悩み" が頭の中を埋め尽くしてしまったら
悩んだりするのは人間だけ
「道で出会って知り合いになった生き物がふと見ると死んでいた」
「そんな時なんで悲しくなるんだろう」
「そりゃ人間がヒマな動物だからさ」
「だがな それこそが人間の最大の取り柄なんだ」
『心に余裕(ヒマ)がある生物 なんとすばらしい!!』
個人的に好きな漫画ベスト5にランクインされる『寄生獣』の最終話からの引用です。
パブロフの犬のように条件付けによる反射行動を取る動物は多数存在しますが、"悩み"といった精神的な苦痛や負担を伴う思考は人間独自のものだと考えます。
心に余裕があるからこそ、悩む。
確かに、生き死に関わる重要な局面で『今年の人事考課で昇進できなかったら転職しようかな』とか『やばい、来月のカードの返済どうしよう』なんて考える人はいませんよね。
では、悩みの正体とは何なのでしょう?
評価軸を自分の外に置くから悩みなんてものが生まれる
「あの人みたいな容姿で生まれていればな」
「あの人みたいにお金に余裕がある生活が送れたらな」
「あの人みたいに大きな仕事が出来たらな」
悩みのタネはいつだって自分の外側にあります。
人と比べたり、世間一般の価値観を基準に考えるからそこに悩みが生まれるのだと思っています。
輪廻転生(死後の生まれ変わり)があるかどうかは分かりませんが、今この瞬間を生きている自分は一人だけで一回きりの人生なので、好きなように生きたらいいと思います。
人と比べたところで意味がないし、世間の価値観だって時代と共に変わっていきます。
私自身もそうなのでよく分かるのですが、物心ついた頃からテストの点数や偏差値で人との優劣を競い、とりあえず進学校に進むことだけを考え、世間一般に名の知れた大企業に就職することが正解とされてきたので、何につけても人との比較や世間の評価を気にしてしまう。
このマインドからの脱却って相当難しいですよね。
ただ、このマインドから抜け出さないことには、自分の人生を生きることは難しいと思います。
評価するのは常に自分。主導権を渡さない
仕事、収入、人間関係、家庭、今の自分が満足していればそれで良しとする。
自分がやり甲斐があると思える仕事に就けているのであれば、外の評価は気にすることはない。ということはもちろんですが、大してやり甲斐を見いだせない仕事であっても、自分の中ではそれでOKという判断をすることが出来るのであればそれで良いと思います。
仕事以外の趣味に価値を見出してもいいですし、家族がいる人は家族との時間を優先させたっていい。
全員が "理想の自分" にはなれないし、そこを目指して疲弊するぐらいなら自分の中で「ここまででいいや」という折り合いをつけるのも大切なことだと思います。
変化にはストレスが伴います。
自分の置かれている状況を考えた上で「今は変化しない!」という判断も尊重されるべきです。
状況が変わって新しいことに挑戦する体力と気力が備わった時には、またチャレンジすればいいと思います。
重要なのは、きちんと自分の中で整理して納得する答えを見つけること。
得体の知れない、世間の評価や価値観にとらわれすぎると人生が窮屈になります。
現在の生活の中で喜びを見つける
お金があれば外食を楽しむことが出来ます。
お金と時間があれば海外旅行にも行けます。
社会的地位が高い人であれば、旅行先で特別な体験も出来るかもしれません。
上を見てしまうとキリがない。
お金は無いよりあった方がいいとは思います。
お金があることで将来の心配をしなくてもよくなるかも知れません。
人とは違った特別な体験も出来るかもしれません。
でも、その程度です。
私には2人の子供がいます。
仮にいま目の前に一億円を積まれて「このお金をあげる。ただし、お金を受け取ったら子供と一生会えなくなる」と言われたら、一億円は受け取らないでしょう。自分の中の価値基準が【子供 > お金】となっているから。
子供をパートナーに置き換えてもいいし、友人に置き換えてもいいです。
お金や社会的地位といったもの以外にも自分が大切と思えるものを一つ見つけて、それを中心に物事の優先順位付けをしていくと、自ずと目指すべきが道が見えてくると思います。
家庭はぶっ壊さない方がいいけど、そうしないと生きられないなら仕方ない
格闘家 青木真也選手のnoteです。
この記事を書こうと思ったキッカケでもあります。
青木真也という人物を知らない人には、このnoteを読んでほしいのですが、簡潔に説明すると一度築いた家庭をぶっ壊してまで格闘技を続けて世界チャンピオンになった人物です。
このnoteを読んだ直後は動悸がしました。
1,400文字の中に人生が凝縮されているというか、強さと弱さが同居している、そんな印象を受けました。
家庭はぶっ壊さない方がいいけど、そうしないと生きられないなら仕方ない。
家庭はぶっ壊さない方がいい。
ぶっ壊すよりぶっ壊さない方がいいと思う。
けど、ぶっ壊さないと突き通せないモノ、ぶっ壊してでも実現したいナニカがあるのであれば、一度きりの人生だし好きにしたらいいと思う。
色々なところに迷惑をかけるのでしょう。
その選択をした本人よりも、その状況を受け入れる以外の術がない周囲の人たちの方が辛い思いをするのでしょう。
それでも、自分の中でその選択をしたのであれば周囲の声には耳を傾けず、ひたすらに突き進めばいいと思います。
周りがとやかく言うことでもない。
色々と言いたいこと言う輩も出てくるでしょう。そんなものは完全無視です。その人がなにか責任を取ってくれることはありません。
最後は自分のケツは自分で拭くことになるのだから。
それでも "悩み" が頭の中を埋め尽くしてしまったら
頭を空っぽにできる空間に身を投じましょう。
これはすごく重要なことだと思います。
全てを忘れて没頭できる何かに時間とその身を投じる。
できれば仕事や家庭といった日常から切り離された空間がいいと思います。
空間(場所)と思考は密接にリンクしているので、ふとした拍子に現実世界へ引き戻されてしまう可能性があるからです。
スポーツジム、映画鑑賞、登山、釣り、サーフィン、スノーボード、etc
自分が好きなことであれば何でもいいです。
週に1時間でも2時間でもいいから、そういった時間を作って思考をリセットしましょう。
特にこれといった趣味もなく、体を動かすことに抵抗がないのであれば【柔術】をオススメします。
相手がいる対人競技のため、相手のリアクションに合わせて自分の体を動かし続けなくてはいけないので、その事以外には何も考えられなくなります。
文字通り、本当に頭が空っぽになります。
おまけに有酸素運動と無酸素運動が組み合わさった競技のため、フィットネスや健康面の向上にも寄与してくれます。
「ふーん、なるほどね。で、柔術ってなに???」
そうですよね。そうなりますよね。私も最初はそうでした。
このブログ内でも柔術に関する自分なりの説明記事(世間の「柔術」に対する誤解を解いていく。柔術を生涯スポーツとして取り組んでいます)を書いていますが、以下の記事の方がイメージ湧きやすいと思うので、少しでも興味を持った方は読んでみてください。4分ぐらいで読めます。
もちろん、格闘技に抵抗がある人に無理には進めません。
他に自分が没頭できる何かがあれば、そこに身を投じればいいと思います。
悩みがある状態というのは、普通の人間であれば正常な状態だと思いますが、本人からすれば喜ばしいものではありません。
また、その悩みの重さは他人が推し量ることはできるものではなく、本人にしかその辛さは分からないものだと思います。
そういった状態に陥ってしまうと、一人でその状態から脱することはなかなか難しいです。
この場でお伝えしたかったことは、強制的に思考をリセットさせることができる空間の重要性です。
人間、生きていれば悩みは尽きません。
悩みにとらわれて不自由な人生を送ることがないよう、悩みと上手く折り合いをつけながら豊かな人生を歩んでいきましょう。
そのためにも、職場と家庭以外に自分という一個の人間を表現できる場所を持つことをオススメします。
限りある人生が豊かなものになりますように。